無理やり話を戻そう。複製はどこまで行っても複製で、実物は全くかけ離れたものであると書いた。とは言っても我々は普段からそれほど多くの実物に出会うことは出来ない。でもどうしても知りたいときは、その複製でもいいから接してみたいと考えるのが仕方のないところ。でも繰り返しになるが、今はやりのバーチャル空間であるとか疑似体験なんていうのは、当然「バーチャル」であり、「疑似」であることを忘れてはならない。その体験で実物を知ったと思うのはあまりにも傲慢だ。 実物とは違うと知りながら、でも私も複製は愛用(?)している。診療所には複製の絵をかけているし、生バンドじゃなく、CDで音楽を流している。そう! この音楽の複製こそ、話が複雑になるんだ。先ず、大前提として、音楽はそれが奏でられた瞬間から消えてなくなる。当たり前のことなんだが、これがなかなか難しい問題となる。つまり音楽芸術の本質に触れたいと思えば、その奏でられた瞬間にその場に居合わすことが必要となる。現代に生きる我々は、録音などという手段を持っているから、そう感じていない人がほとんどかもしれない。つまり音楽というものは、CDやDVDやブルーレイ、最近ではストリーミングなどを使ってPCやスマホの中に存在し、それを聴くのが音楽だと思い込んでいる人が普通なんだと思う。でも本当は、音楽は楽器と共にあり、歌なら人と共にあり、演奏を待たねばならず、しかも終われば何も残らず消えてしまうものなんだ。我々がそうだと思っているCDやDVD、ブルーレイやスマホの中の音楽は、どうしようもなく複製なんだ。じゃ、その複製をどう扱う?