我々が何かのものごとに触れる時、それは複製物であることがあまりにも多い。特に最近はネット社会になってきており、ほとんどのものがPCやスマホの中に存在し、それを見聞きすることで全てを知った気になってしまっている。これは功罪相半ばするもので、もちろん基本的には素晴らしいことだと思う。年寄りの愚痴みたいになってしまうが、ネットが無かった時代は何か知りたいことがあってもなかなかそこにたどり着けなかった。知りたい、調べたいものがあれば、先ずは体を動かす必要があった。本屋に行く、図書館に行く、専門店に行き、そこのお店の人となんとか仲良くなって教えてもらう。私などは大阪に住んでいるので何か知りたいことがあれば梅田に出て本屋巡りをしていた。当時は東梅田に旭屋なんて本屋のビルがあり、そこでひたすら立ち読みし、どうしようもなく欲しい本のみ買った。旭屋になければ紀伊国屋(これはまだある)まで行き、ひたすら探した。探す間に雑多な情報も入ってくるから、それはそれで面白かった。ネット社会になって、その調べものをする時の雑多な情報が無くなったと嘆く人もいるが、いやいやそれはその人個人の問題だろう。そうしてようやくたどり着けた情報にしても、今の基準からすればたかが知れていて、それでもそのかすかな情報が嬉しくて、まあ言ってみればみれば夢をみることができた。特に顕著だったのはやはり画像の情報で、例えば好きな作曲家、指揮者や演奏家ができたとして、その画像などは動画はもちろんのこと静止画でさえほとんど見ることは出来なかった。ひたすら文章による紹介と評論(?)を読み漁るしかなかった。たまに雑誌の片隅に写真などがあると、まあそれがなんとも貴重な宝物に見えた。今では考えられないことだな。
しかし、脱線しすぎだな~